母子留学を決断するには

大きな決断の前は、やっぱり怖いです。

ニュージーランド、オランダ、ドイツ、3カ国に母子3人で移動した経験をもとに、

飛ぶ前の怖い感と、それをどうやって乗り越えたのか、

現在の心境などを書いてみました。

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1、日本を出ると決めたは決めたはいけど

2、不安から抜け出すには?

3、超超ビビりな私、、、  

4、言うのは簡単

5、フラフラしてるわけ  

6、振り返れば笑い話

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1、日本を出ると決めたはいいけど

2015年9月6日、成田空港からニュージーランドに向けて飛び立ちました。

ニュージーランド滞在8ヶ月

オランダ滞在1年5ヶ月

ドイツ滞在6ヶ月

ニュージーランド滞在2ヶ月

再びオランダに来て5ヶ月経ちました。

子供達も、その都度学校を変えながら、

良く頑張ってるな、、、と思います。

短い滞在期間の中でも

行く先々で友達ができ

今でも細〜くではあるけれど繋がってる、

と言う、便利な時代を羨ましいですね〜!

今から思うと、日本を出る、というのが一番大変だったように思います。


日本を出る6ヶ月前

ニュージーランドに行く、と決めました。

その半年間の悩みとビビりは

半端なかったです。

ちゃんとやっていけるか、

子供達は大丈夫か、

日本の学校やめちゃっていいのか、

私は大丈夫か、

失敗したらどうしよう、

そんな考えがいつも頭の中を

ぐるぐる、ぐるぐる回っていました。

解決策なんてなかった、、、

「大丈夫、絶対大丈夫」って

自分に言い聞かせるしかなかったんです。

一人で行くならいいのですが、

子供連れて行くわけですから。

反対意見もかなりいただきました。

でも、夫婦の間では

これはもう揺るぎない決断になっていたので、

反対意見が出たからどうのこうの、

というわけではなかったのですが、

行くんだけど、怖い。

バンジージャンプですよね。

飛びたいから

階段上がってきたのに、

やっぱり怖くて飛べない、

でも飛びたい、

でも怖い。。。

じゃあ、また階段降りるのか、

降りたら絶対後悔するから

やっときゃよかった、って思うって

わかってるから、

飛ぶんだけど、

でも怖い。

こんな繰り返しでした。


2、不安から抜け出すには?

家を片付けつつ

仕事をしつつ

ママタクシーをやりつつ

不安と戦いつつ

もう身がもたない!

失敗したらどうしよう、、、

そんな思いが頭をよぎって

苦しかったです。

私が怪我でもしたら、

子供達が学校に馴染めなかったら、

英語ができるようにならなかったら、

etc...

心配の種は尽きない。

で、もう考え疲れたときに

ふっ、と浮かんだんです。

「失敗ってなんだ?」と。

怪我したら病院に行けばいいし、

学校に馴染めなかったら学校変わってもいいし、

どうしても嫌なら日本に帰ってくればいい。

英語ができるようにならなかったら

そのときに考えればいいや。って。

とにかく行くと決めてるんだから、

あとは、行ってから考えればいい。

起こってもいないことを

あれこれ心配するのはやめよう。

そう思えたときに、

「失敗ってないんだな」と

腑に落ちたんです。

もし、仮に、3ヶ月で日本に帰るとしても

経験が手に入る。

やらないより、やったほうが断然プラス。

命に関わることでない限り、

法律に触れることでない限り、

人を悲しませたり、

人に迷惑かけたりしないなら、

やらないほうがよかった、ということはない、

と思うんです。

「絶対に失敗はない!」こう考えることで

不安は無くなりました。



3、超超ビビりな私、、、


ニュージーランドいきの不安は無くなりました。

とにかく行くと決めたから、行ってこよう。

行くからには楽しんでこよう。  

覚悟を決めて、飛び出しました。

あんなに怖いと思っていたのが嘘のように、

ニュージーランドは楽しい!

日本と違うこともたくさんありましたが、

良いも悪いもなく、

違いは違いと受け入れてしまえば

楽なものです。

解き放たれて、

ニュージーランド生活を楽しんでいましたが、

「楽しいけど、何か違うな、、、」という

違和感を感じる日々。

贅沢な悩みですよね。

でも、正直にいうと、ずっとこんな風に感じていました。


3ヶ月の語学学校生活も無事に終わり、

2週間の休みを思い切りエンジョイしたのち、

私はクッカリースクールへ。

MとHは現地校へ。

朝から晩まで

本当に忙しかったけどね、

楽しかったですよ。

充実してました。

新しいこと勉強するって、楽しい。

レストランの味が出せたとき、

綺麗にエッグベネディクトができたとき、

本当にうれしい。

でも、何か違う、が晴れないまま

10週間過ごしました。


楽しいけど、何か違う。

その思いが晴れたのは、

これまたラッキーが重なり、

個人コーチングをしていただいた週末のことでした。


「そうだ!一番行きたいのはドイツだった!」と思い出しました。

ニュージーランドに来たのは、

・そんなに寒くない

・ビザが取りやすい

・永住権が取れるかも

という理由から。

第1希望に挑戦してなかったことに気づき、

オランダに行くことにしました。

え?? なんで? ドイツじゃないの?


せっかく気づいたのに、

ここでまたやってしまいました。

オランダはビザが取りやすい

ビザ、って大事。

だから安全策。

オランダに行けば何か見えてくるかも。

だからとりあえずオランダ。。。


4、言うのは簡単

「オランダに失礼だ!」って思います。

だけど、

ビザとれないと滞在できないでしょ。

だから、ビザがとっても大事。

コーチング受けてるときにも

散々言われました。

「自分が変われば、法律まで変わっちゃうこともあるんだよ」と。

とにかく「やる」と決めることが大事。と。


でもね、

言うのは簡単なのです。

そう言う事例を目の前で見てきたけれど、

もしダメだったら、

私に奇跡が起こらなかったら、

そう考えると、

超超ビビリな私としては、

やっぱり安全策でしょ。と思ってしまうのです。


バンジー飛ぶのだけれど、

へなちょこな飛び方。

かっこよくYの字で飛んで見たいものです。



5、フラフラしてるわけ

 

で、オランダで1年5ヶ月過ごしたわけですが、

この間、かなり充実してました。

子供達の英語も飛躍的に伸びたし、

バレエのレッスンもかなり充実。

日本とは大事なことが随分違うんだな、、、

ということも実感しました。

私はずっと五十肩で、

痛い痛い日々だったけれど、

生活は充実。


Hがそのまますんなりバレエ学校に合格してたら

ずっとオランダに住んでいたな、と思います。

でも、まさか、のバレエ学校不合格。

で、思ったこと。

「オランダにいる意味なくなった」


バレエのためだけにオランダにいたの?

なぜオランダだった?

「ドイツに行きたかったのに、

とりあえず、オランダのビザ取りやすいから」

で、オランダに来たわけです。

オランダに行きたい!というわけではなかったので、

バレエ学校に入れないなら、

オランダにいる必要はないのでは?

そして、

「そうだ、ドイツ行こう!」


思っていたより割と簡単にビザ取れると言う話もあるので、

行ってみないとわからないから、

とりあえず行ってみる。


私は、若い頃から

一度はベルリンに住んでみたいと思っていたのです。

やっとやっと憧れのドイツに行ける〜〜〜、と

意気揚々とベルリンに!

でもね、やっぱいビザをもらうまでは

怖いんです。

でも、この怖さに慣れてきていました。

旅行者でもない、

正規のビザがあるわけでもない、

なんとなく宙ぶらりんな不安定な状態。


オランダに行く時も、

ドイツに行く時も、

ニュージーランドの時とは違って、

「なんとかなる」って思えたのです。

これは、「慣れ」の賜物です。


信じて飛べば

道が現れる、って、

信じられるようになった。

だから、ドイツ、ベルリンへ。

ベルリンも

不安材料がないわけではなかったんです。

海から遠いのですよ、ベルリンは。

これ、私にとっては致命的。

毎日海に行かなくていい。

ただ、潮風を感じられるだけでいいんです。

ずっと海辺で育ったせいなのでしょうね。

山で育った人は山がないとダメ、と言う人が多いですが、

私は海で育ったから、海がないとダメなんです。

その1点が気がかりでした。

2018年年明けとともにインフルエンザにかかったときに、

「海を見ずに死ねるか!」と思いたち

よろよろしながらも

南フランスに海を見に行ったくらいですから、、、


ビザ申請までの約6ヶ月間、

色々楽しいこともありましたが、

2月下旬に「ドイツ国外退去通告」を受け、

わずか6ヶ月で

まさかまさかのドイツにさよなら。

今後の見通しが全くつかない中、

とにかく引越しの準備をしました。

今はとにかく荷物をまとめる!

こんなに集中したのは久しぶり。

後先考えず、って言うけれど、

本当に後先考えられませんでした。

「しっかりしなくちゃ」って気を張ってたから

持ちこたえられましたが、

身体は正直ですよね、

この2週間の間に5kg近く体重落ちました。

とにかくドイツを出なくちゃいけない、

でも、どう言う可能性があるのか、

ベルリンの外国人局に聞いたところ、

「日本に帰るか、オランダに出るか。

とりあえず、オランダに行ったらどうか。

お金もかからないし一番近いから、、、」的な

アドバイスをいただき、

とりあえずオランダに戻りました。

1週間だけホテルを予約し、

先のことはその1週間の間に考えようと。


そのくらい、引越し準備中は

全く後先考える余裕がなかったです。

全て手続きを終え、無事にオランダへ。

アムステルダムにあるドイツ大使館に行き、

オランダに入った証明をもらい、

ホッと一息。

海の近くのB&Bを予約していたので、

まず一番先に海を見に行きました。

やっぱり私には海が必要だ!って

海に沈む夕日を見ながらしみじみ思いました。

1週間の間に、

今後どうするか決めなくてはいけません。

そんな切羽詰まった状況でも、

「あ〜まだ生きてる。

この世の終わりと思ったけど、

大したことじゃなかったかも」なんて

感じてました。

その時は、

「どうしたらベルリンに戻れるかな」って

考えてました。

まだやり残したこともあったし、

子供達もやっとドイツ語に慣れてきて、

先が見えてきたところだったので、

また元の学校に戻りたいな、、、って

思ってたんです。


先が見えない中でも、Hのバレエの予定だけは決まっていました。

予定していたバレエのワークショップに参加したんです。

イタリアとイギリス。

イタリアのワークショップで、Hがドイツのバレエ学校に合格。

「学校でオーディションやるから、その日にきてね。」

と、嬉しい通知。

そのワークショップの後、

イギリスでのワークショップに参加。

EUからでてイギリスに行きました。

この時は何も言われませんでした。

入国は厳しくても出国は何も言われない、って聞いてたし、

そんなものか、と思っていました。


しかし、合格をいただいた学校の

オーディションを受けるためには

再度ドイツに入らなくてはいけません。

無事に入れるの?

もし止められたら?

「一旦ドイツから出てくれればいいのよ。」

って、あの怖〜〜〜〜〜〜〜〜〜い外国人局の人が言ってたけど、

ほんとかな、、、

ダメならダメで仕方ないか、、、

念願のバレエ学校受かってるし、

オーディションに行かないとダメって言われてるし、

行くしかないか、、、と覚悟を決めて、

恐る恐る、ドイツ行きの飛行機に乗りました。


入国審査の時の、

あのスタンプの音、

忘れることができません。

「ガシャ」っと押してくれました。

やったー!

EUから追放は免れました。

ベルリンから引越し、辛かったけど、

EUに入れるってありがたいな、、、と痛感。

次の日、

バレエ学校のオーディションに臨みました。

もう合格してるから、

結果を気にせず安心して見ていられたのですが、

オーディション終了後、

すぐに合格者の名前が呼ばれました。

でも、その中にHの名前がなかった!

「なんで?合格なはずなのに、、、???」

「合格、って言われたから危ない橋渡って

受けにきたのに、、、???」

またまた訳がわからず、

もうこれ、

普通だったら「どうしてですか?」って

質問に行っているところですが、

私たち、笑いながら、

「ほんとにドイツには縁がないね。。。

そういうことですね。」って

綺麗さっぱり諦めがついたんです。

(後から合格通知が届きましたが、

その頃にはもう気持ちが覚めきってしまっていて、

今更合格と言われても、、、で、辞退させていただきました。)


ここまで、ベルリンを出てから6週間。

ワークショップを兼ねて

イタリアに3週間、

イギリスに2週間。

この間に私たちも変わり、

「なんでドイツに戻りたいんだっけ?」とまで

思うようになっていたので、

ドイツとは縁がないことを

快く受け入れられたのでした。


ヨーロッパには住みたいけれど、

とにかくビザ関係、はっきりしない。

誰に聞いても違うこと言われるし、

一体何が正しいのか。

とりあえず、このシェンゲンビザ

180日のうちの90日、というルールをクリアしたかったのと、

ビザ問題から解放されたいという気持ちと、

楽しかったニュージーランドでのんびりしたいという気持ちから

3ヶ月の予定でニュージーランドへ行きました。

普通ならここで、

ドイツに戻るためには、とか、オランダにいたほうが安全とか、

思うのかもしれません。

でも、ビザの件で疲れ切っていた私は、

ビザのことを考えずに、楽しく過ごせる時間が欲しかったのです。

必要のないフラフラだったかもしれませんが、

3ヶ月のニュージーランドに戻ったおかげで(実際は2ヶ月でしたが)、

やっぱりヨーロッパに住みたい、と

決心ができました。



6、振り返れば笑い話


母子留学の決断のためには、これに尽きます。

「3年後、振り返れば全てが良い思い出」


あんなに辛かったベルリンの外国人局での30分。

「1週間以内にドイツから出てちょうだいね」と言い渡され、

訳が分からず気を失いそうになりました。

頭は真っ白。けれど、

「私がしっかりしなければ!」

後ろにはMとHが座って一緒に話を聞いていたし、

「私が倒れるわけにはいかない。

大変なことが起きてるけれど、

頭は冷静に、一言も聞き逃してはいけない。」

そんな思いで踏ん張りました。

「ごめんね。」と言いながら振り返ると、

Mは冷静な表情。Hは涙ポロポロ。

担当官が英語で説明してくれたので、

MとHも何が起きているのか、

ちゃんと理解してました。


とにかく、2週間以内にドイツから出なくては。

そういうことでした。


様々は思いが錯綜する中、

こんな極限(?)状況の中でも、見落としませんでした、

担当官の眉毛。

ちょっと普通じゃない眉毛の描き方だったのです。

まるででんでん太鼓の模様みたい。

真剣な話をしている中でも

ちょっと笑ってる自分がいました。

家に帰ってその話をしたら、

MとHも、しっかりチェックしてました。

そして3人で大笑い。


このとき思ったんです。

あ、この子たち、大丈夫だ、と。


この先ずっとドイツで頑張ろうと思っていたのに、

やっと滞在ビザがおりると思っていた、その日に、

2週間以内にドイツから出て行ってね、と言い渡され、

気が遠くなりそうな外国人局でのやり取りのさなかにも、

「この人の眉毛、すごい、、、」と

観察するだけの余裕があった!


この上なく辛い状況の中でも、

まだまだ余裕が残ってる、ってことですね。

人間て、自分が思っているより

はるかに強いものなのかもしれない、と

実感する出来事でした。


ニュージーランドから戻って

現在はオランダに住んでいますが、

思い返せば全てが懐かしく、

大変だったことの方が

より懐かしく感じられます。

決して3人だけで乗り越えられたわけではなく、

ニュージーランド、

オランダ、ドイツ、いつも

私たちを支えてくれ、

そして共に楽しめる友達がいました。

住む場所は違っても、

一緒に過ごす時間が短くても、

いつも心をそばに感じています。


今、母子留学に踏み出そうとしている方へ、

「怖くても飛んでみれば

3年後には全てが楽しい思い出」ということを

お伝えしたいです。

もちろん、こんなに怖がりな人はいないかもしれませんが、

怖がりの私でもなんとか生きていけてるので、

みんな大丈夫!

楽しいことだけ考えて

最初の一歩を踏み出してくださいね!




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